Babel Series - 作品解説

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キャンディス・ブレイツ
Babel Series [バベル・シリーズ] (1999年)
DVDインスタレーション:7つのDVD映像ループ エディション4 + アーティストプルーフ2

『バベル・シリーズ』はカクカクと喋り続けているような、7本のDVDループ映像からなる作品である。これらはすべて過去のミュージックビデオから借用されている。どれも冷酷なまでにシンプルで、単音節のみで成り立ち、7つの瞬間的な映像がいろいろなミュージックビデオから引用される。マドンナ、ワム、グレイス・ジョーンズからクイーン、プリンス、アバ、ポリスまで、ラインナップはさまざまだ。抽出された7つの映像は、騒々しいまでに果てしなくくり返されるループとなり、テレビモニターに映し出される。

この7つの映像は展示空間で同時に再生され、作品タイトルのもとになった聖書のエピソードを隠喩する不格好なおしゃべりを生み出すのである。これらに共通しているもの(つまりナルシズムや、わざと性別を曖昧にするようなスター性に反映されたイメージを超越したもの)は、言語を構成する根本的な要素を思い起こさせる点である。この作品の不調和なリズムからは、いかなるときも変わらないベイビー・トーク、混沌とも言えるような幼児語が聞こえてくるのだ。「パパ・ドント・プリーチ」から引用した映像の断片では、マドンナが「パーパーパーパーパーパ……」と悲しげに声を上げている。別のモニターではフレディ・マーキュリーが「マーマーマーマーマーマ……」とまくし立てる。また違うモニターでは、グレイス・ジョーンズが「ノーノーノーノーノーノ……」としつこくくり返す一方で、ジョージ・マイケルが弱々しく「ミーミーミーミーミーミ……」と呟いている。パフォーマーは(歯切れよく声を出すたび、くり返し画像が浮かび上がってはまた消えるという)チカチカする画面の中で、一音節の言語に閉じ込められている。そのトランス的なくり返しはアンドロイドのようであるとともに、痙攣じみた発作的動作が奇妙に有機的でもある。あたかも催眠術のように、筋肉の収縮や手ぶりや瞬きは、ループ再生で延々とくり返される。

この作品において反復とは、視覚的・言語的な意味を生み出すための手段であり、言葉を言語以前のカオスへと退化させるための方法である。たとえば「ダ」のくり返しである「ダ・ダ」という音節は、意味を持った言葉になりうるかもしれないが、その意味には明らかに任意性がある。つまりこの言葉を聞いた人によって「お父さん」であったり、ロシア語で「イエス」という意味の「ダ・ダ」になったり、フランス語の「木馬」やドイツ語の「ここ」に変化したりする。と同時に「ダダダダダダ」という持続的な反復は、このように単純な意味を見い出す可能性さえ、ナンセンスなものにするようだ。反復がコミュニケーションの感覚と可能性をむしばむことで、言語は無意味な音節へと変異する。ヒットしたポップソングの魅力に子どもっぽく踊らされてしまったことのある鑑賞者の目の前へ、ふいに現れたスターたちの揺れ動く体はなぜかとても無防備で、観客の自己投影に身をゆだねている。

この『バベル・シリーズ』では、失われてしまった原始言語を再現することにより、テレビを観たりポップソングと一緒に歌ったりすることで初めて言葉を覚えるような時代に生きる、わたしたちが直面している主観性の形成という課題を辛辣に暗示している。このインスタレーション作品は、旧世代のアーティストたちが夢見てきた世界共通言語を表わす具象詩がいまいましいメディア業界の普遍性にとって変わられてしまったせいで、主観性が言葉に組み込まれる過程でグローバルメディアによる変質が避けられないことを表わしている。そして生み出された不協和音的な環境は、アンディ・ウォーホルやM-TVからの影響だけではなく、ダダ、未来派、ロシア・アヴァンギャルドの新しい詩人たちの影響を受けているとも言える。

Translator: 
山本 陽子