鼎談 『LOST CINEMA LOST』

ルナ・イスラム (以下R)、トビアス・プートゥリ (以下T)、シモーン・メネゴイ (以下S)

S: 誰がどのような理由から、このコラボレーションを思いついたのですか?

R: これはわたしのアイデアですが、ミロヴァン[*1]のおかげで実現したようなものです。単独で映像やビデオ作品を展示することをもう一度考え直そうと思っていた時に、ここで展覧会をしないかという誘いがありました。具体化された展示空間形式が根本から変化あるいは覆ったのに、その中にまたグレーか黒の箱のような空間を作ってしまったら、それが何になるのだろうかと考えたこともあったのです。しかし前回のヴェネツィア・ビエンナーレのときにトビアスがサン・セルヴォーロ島に作った映画館を見て、「自分の作り上げた映画館で上映される映像には口を出さないことで、いくらかは自分の意思が及ばない状態を作り出す」という、その手法が素晴らしいと思いました。ここモデナ[*2]では、ある程度ミロヴァンは展覧会の企画を続けさせてくれましたし、ある意味ではわたしは彼に企画者としての職務をお返ししたとも言えます。いくらかは彼の好きにしてもらうことで、わたしの空間を企画したり作り上げたりしてもいいと。これは3人のアイデアによる3方向性を備えた接合点であり、展覧会モデルに新たな性質をもたらすコラボレーションであるはずです。

T: 黒い箱型空間での上映だけを考えているわけではない映像作家がいるということは、正直うれしい驚きでした。わたしは数年前にかなりひどい目に遭ったので、ほかのアーティストが制作した映像を「上映」するための空間を作るというアイデアは、もう辞めようかとさえ思っていました。アーティストたちにとって、自分の作り上げた大事な芸術作品に他人の手が入ることは我慢のならないことだったのです。確かにアートと展覧会をデザインすることの関係はかなりややこしいですし、展覧会をデザインすること自体もアートである場合はさらに複雑です。ミロヴァンが最初に連絡をくれたときは、用心深くなっているように感じました。でも、ルナはまったく大丈夫でした。これには驚きました。その一方で、こういうプロジェクトの展示作業はかなり即興的な要素が強いので、最後の瞬間までだれにも全体がどうなるのか分かりませんでした。つまり、若干のコラボレーションと、大きな信頼があったわけです。

S: まず先にフィルムが何本かあって(まだ完成前でしたが、トビアスは最初の未編集版を見ていました)、それからパビリオンができたと聞きました。2つのまったく違うパビリオンを造ることにした経緯をお話しいただけますか?

T: ガレリア・チヴィカ[*2]の展示室は、かなり特徴的で難しい空間です。ですからわたしたちは、すでにある建築物への鑑賞者の知覚をコントロールすることにしました。来場者は閉ざされた通路や空間を通って会場にやって来ます。しだいに空間が広がっていき、開かれた展示空間にたどり着くわけですが、そこで来場者はもっと広々とした自立型の構造体に出合うのです。

R: 展覧会を準備しているときは、この上映スペースを「structure A」「structure B」と呼んでいました。

S: どちらが「structure A」ですか?

R: 「structure A」は入り口側のほうで、実質的には3つの空間があり、一番奥で『What Is A Thought Experiment, Anyhow?』を上映しています。もう一つの「structure B」は、足場用の建材で作りました。こちらでは『CINEMATOGRAPHY』が上映されています。

S: それぞれのパビリオンの雰囲気は、上映作品に合わせているのでしょうか?

T: そうなんです。『CINEMATOGRAPHY』では、カメラが滑らかに動いていく過程で突然起こる急激なズームインやズームアウトが、重要な強弱を作り上げています。つまりこの映像は、時の経過とくり返される変化について表現しています。ですからわたしは自分が作る構造体も、これとおなじ方向性で作るべきだと考えました。
もう一つの『What Is A Thought Experiment, Anyhow?』は、もっと複雑です。この作品で表現されているものは一筋縄ではいきません。この作品は表面や外見のもろさについてのかなり抽象的な思想の周辺を、グルグルまわっているように感じられました。でもその一方で、現実の空間レベルでこれを扱うことはほぼ不可能に近いだろうと気づいていました。だからわたしは、とりわけ理解しがたい方向へもう一歩踏み出すとも言える方法で、ルナの映像に応えたのです。この構造体は純粋に形態という視点から語ったほうが、いいかも知れません。これはカーブした空間での運動を表わしています。つまり彎曲した形をどうやってコントロールし、変化させ、開くのか、ということです。

R: 先ほどの話のように、この映像作品がかなり複雑であるように「structure A」はまったく迷宮のようにはまり込んでしまう空間です。どちらの作品もはそんなに簡単には理解できないでしょう。この映像作品が一体何を表現しているのかを正しく言い表すことはそう容易いことではないと、いまだに思うのです。無造作な感じだとか、風船の重要性だとか、形態の持つ性質に興味がありました……。でもお分かりのようにこの作品においてこれらは小道具、役者、代役であり、気ままに動いているだけなのですが、誰もがその見た目にひきつけられてしまうのです。またこのパビリオンはいくつもの旅にいざなってくれるものであり、まるで自分自身を追いこすことができるかのように、「あなた」は再び同じ場所を通っていることに気がつくのです。同じ場所に別の方向からたどり着くので、また新たな対象物や視野が開かれ、あるいは閉ざされながら、ついに映像を映し出す空間へと行き着くのです。この空間そして映像作品を後にするときもまだ新たな視点を見せ続けているので、この構造体の完璧な全体像を思い描くことは決してできません。一方『CINEMATOGRAPHY』が上映されている「structure B」は、開けた空間の中にはっきりとした輪郭をそなえた、連続的ではあるが完結した一つの物体であるということが明らかです。足場用の建材で作ってあるというのが気に入っています。足場用の建材が部分的に投影会場の足場になっていたりするのも。席に座っている人だけでなく、映し出される映像そのものを支えているようで。

Translator: 
山本 陽子
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