2003年ICCのインスタレーションについて

『The Listening Room [ザ・リスニング・ルーム]』はわたしが考えるなかで最もシンプルな技術で、自分のいる空間の音に耳を傾けてもらうおうと空間の音へ試み、働きかけた作品です。作品の基本システムは、展示会場ごとにマイクやスピーカーの位置を入れ替え、調節し、空間の微調整を行うことで成り立っています。必要最小限の技術しか使っていないので、とても柔軟性があります。金槌やねじ回しのように、単純なツールと同じなのです。

この技術に手を加えることはほとんどありません。実を言うと、この作品はシリーズを経ることでいくつかの部分を単純化させました。すでにそこにあるもの、つまりその空間の共鳴や反響を利用するということが、基本原則です。このインスタレーション作品は、主にその展示空間に特有のさまざまな要素によって大きく変化します。なかでも反響と空間の大きさは最も大切な要素です。ICCで展示を行ったラウンジは今まで展示した中でもかなり小さい空間で、比較的小さめの反響があります。ですからわたしのインスタレーション作品も、とても穏やかで繊細なものとなりました。このラウンジでの作品は主に空間内の人の動きに反応しているのですが、大きな空間の作品では内部で誰かが立てた音、話し声、歌声などにもよく反応します。これには空間の大きさが関係しています。つまり、展示空間の大きさがこのインスタレーション作品の音量を決定するのです。わたしが一番気を使っているのは、この作品がうるさくなりすぎて空間に働きかけようという観客の気持ちを押しつぶしてしまわないように、この作品を等身大に保つことです。ですからわたしは、いつも作品をとても単純で穏やかなものにしようと努力しているます。

鑑賞者が体験しているこの風変わりなインスタレーション作品に特有な他の要素、つまり音量なども関係しているのかもしれませんが、鑑賞者の反応は文化に根ざしているのではないかと思いたくなります。オーストラリアでは鳥の鳴き真似をしたり歌ったりする人がたくさんいたし、日本の場合の展示空間はとても静かで落ち着いているのですが、マイクをつついて何か起きないかと確認する人がいることにも気づきました。(実はマイクをつついても何も起こりません。フィードバックする音量が大きくなりすぎると遮断されるようになっているのです。)これはもしかしたらオーストラリアの展示会場は自然保護区の真ん中にあり、とても大きくな空間で反響がはっきりしていたし、東京のICCではマイクが目立っていたせいかもしれません。どちらにせよ、しばらくするとほとんどの人は空間の音を聞き始めていたようです。ICCの展示会場でかなり長い時間を過ごす人もいたと聞きました。

今回ICCの展示で初めて、窓のある空間にインスタレーションを行いました。窓からの眺めのことは考えていませんでした。写真や図面を見て展示空間を決めなければならなかったので、7月に東京へ行くまで景色がどんな感じなのかを何も知らなかったのです。音をガラスに反響させたかったので、効果をできるだけ引き出すためにブラインドを上げることにしました。でも、窓からの眺めは気に入っています。窓にはさまざまな要素があります。透明であるということ、プロセスを明らかにすること、そして街中でさまざまなことが起きている様子が見えても、この特殊な状況下では音が聞こえないという事実がこの空間の体験を濃密なものするのです。長年にわたりレコーディングスタジオで仕事をしてきたので、窓があるだけでうれしくなります。

だからといって、窓のない空間で展示した過去のインスタレーション作品に密閉感があったというわけではありません。不必要に神秘的な連想をさせないように照明はいつもできるだけ明るくしていたし、今までわたしはICCラウンジの20倍ぐらいはあるとても大きな空間でばかり展示してきました。そのような空間に固有な要素として外から漏れ聞こえる音があったわけですが、こういったものがインスタレーションの音と混ざり合うことで、展示空間はある意味開放されていたのかもしれません。

空間内の柱はふつうあまり作品には影響しないのですが、ICCの場合は違いました。柱によってさえぎられるところと、柱からの反響がホットスポット、つまり誰かがそこに立つとフィードバックされてあからさまに音が変わるという場を作り出しました。いずれにせよ建築的な要素である、壁面や天井の形や床材が空間の音を大きく左右します。たいていはもともと音がよく響く場所を展示空間として選んでいます。木材に石膏ボードなどを張ったような仮設壁には、かなり用心しなければなりません。こういう壁は高域の音を跳ね返しますが低域の音を通してしまうので、低い音がそのまま壁を突き抜けて建物のどこか別の場所で反射して戻ってきます。このような現象が起きると、インスタレーションはとても耳障りで、音階が狂っているように感じるのです。一番の問題は、観客が目で見ている空間と耳で聞いている空間が別のものになってしまうことです。音が生まれている空間とその音は対応しているべきである、というのもわたしの制作方針の一つです。

『Stairwell (untitled) [階段の吹き抜け(無題)]』は、自ら発している音に反応し続けるという、ダブル・システムの作品です。いままでに制作した他の瞑想的な作品とは違った要素がいくつかあって、(わたしにしてみると)大きな音のする作品です。階段は移動するための場所なので、普段は誰もそこでウロウロすることはありません。空間の形は変則的だし、二つのサウンド・システムが作り出す音のバランスも空間に対応してゆがんでいました。ディレイは掛けていませんし、録音もしていないのですが、この空間では自分の立てた音が予想外の方向から増幅されてふいに聞こえてきます。このシステムと展示空間内にいる人の相互作用をできるだけ増幅することを考えてマイクを配置しているのですから、そういう意味では、この空間にはとても密接な音響の監視が存在することになります。

いつも通りに意図的な隠喩はないし、連想はすべて体験者によって取り込まれたものですが、これは確かにいささか気味が悪いと認めざるを得ません。そうは言っても、そもそもこの階段の吹き抜け自体が、かなり奇妙な造りになっているのですが。

わたしはこの作品でどのように人が音に対応しているのかを観察しています。録音された音は前世紀に初めて普及したのですから、生物学的には人間という種にとって新しいものです。わたしはお風呂に入っているときにラジオで音楽を聴ける自分はなんて恵まれているのだろうと、強く感じる時があります。一世紀前であれば、もっと大きなお風呂場を用意して、弦楽四重奏団を雇わなければならなかったことでしょう。

わたしたちの聴覚は非常に精密なツールなのですが、その機能をしょっちゅうオフにしています。お酒を飲む場所、特にイギリスの酒場で流れている音楽の大きさにいつも驚きます(わたしの経験から言うと、東京の居酒屋はたいていもっと静かでした)。この一世紀の間に街中の雑音は飛躍的に大きくなっています。そのほとんどは交通量が増えたせいなのです。このように感じるのはわたしが田舎で育ったせいかもしれません・・・。わたしは、人がいつでも自分の聞いている音にもっと意識を向けることによって、前向きにこのような状況に関わるための方法、そしてもっと実りある体験にするための方法を見つけようとしているのです。

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 この文章は2003年に東京初台のICCで開催された『サウンディング・スペース』展での展示作品が基になっています。

展覧会カタログ: 『サウンディング・スペース―9つの音響空間

 

Translator: 
山本 陽子
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