有線放送に440チャンネルの番組を持つものがある。あらゆるジャンルの音楽、語学講座、株式情報、効果音といったものから、心臓の鼓動や、羊の頭数をカウントする専用チャンネルまで好きなものを選択できる。
この有線放送の440チャンネルすべてをミックスしてみたことがある。最初の数チャンネルのミックスでは、ビートルズの曲や落語の語りやバロックの演奏であったりと判別できていたが、チャンネル数が増えていくに従ってそれぞれの内容がわかりにくくなり、一つの音の塊になっていった。そして、440チャンネルすべてミックスされた音は、シャーッという、まったくのホワイトノイズになった。
フィッツ=ジェイムス・オブライエン(1828-1862)は、ポーの次の世代のアメリカのSF、ファンタジー作家で、数少ない短編は、どれもポップでシュールな味わいを持ち、マグリットの世界をイメージさせる。この作家が大変気に入っている僕は、自作の光学的オブジェに、彼の小説から借用して《ダイヤモンドのレンズ》というタイトルをつけたことがある。
彼の斬新なアイデアに彩られた短編の中でも『手から口へ』という作品は、特に奇想的で、シュールレアリスムの先駆的な作品と言えよう。
主人公がチェックインしたホテルの階段の壁には、無数の目がプリントされた壁紙が貼られており、すべての目玉は、主人公の動きを追っている。部屋に入ると、壁紙は耳のプリントになっており、主人公の電話の話に聞き耳を立てている。そして、この異様なホテルから脱出しようと逃げ惑う主人公を追い立てるように、唇の壁紙が一斉に声をたてる……といった、なんとも奇妙な小説である。
我々の部屋には、目には見えない、数多くの「目」や「耳」や「ロ」が押し寄せている。有線放送も440の唇があると思うと結構恐怖である。人類の歴史において、これほどの目や耳や唇に囲まれた生活は初めての体験であろう。そして、これから、それらの目や耳や唇はどんどん増殖して行く。いっそ、極限まで行けば、ホワイトノイズのような、一種平穏な境地になるだろうが、それまでの段階では、テクノロジーに対する驚異には常に「喜び」と「恐怖」が共存する。我々もしばらくは、この対極する感情と付き合わなければならないことを覚悟しなければならない。
初出:「オーディオ・ピクニック―目と耳の20世紀 13 オブライエンの部屋」
『美術手帖』通巻726号、美術出版社、1996年6月、169ページ
藤本由紀夫 - 西宮市大谷記念美術館 『by f about f』より、抜粋
『by f about f』は、2002年6月22日に西宮市大谷記念美術館で開催された「美術館の遠足6/10」のために制作された。
購入方法: 西宮市大谷記念美術館->ミュージアムショップ->図録一覧にて在庫確認後、電話にてお問い合わせください。カタログ在庫あり(2008年2月)