リラダンの代表作、『未来のイヴ』の冒頭で、主人公エディソンはつぎのように嘆いている。「人類の歴史を通じて全く驚かされるのは、豪い発明家が山とゐるにも不拘、幾世紀を経た今日まで蓄音機を発明した人間が一人もいなかったということたなあ!……鋼鉄の針を一本、チョコレートの包み紙を一枚、まあ大體さう言ったやうな物と、銅の筒を一つ、これだけあれば天地のあらゆる聲や響きを録音出来るのだ。」(渡辺一夫訳、岩波文庫)
たしかに、レコード盤上を針で引っ掻いて音を記録し、それによってできた溝を、逆に針でなぞることによって音を聴く「蓄音機(PHONOGRAPH)」という機械が、一世紀前のトーマス・エジソンの登場までつくられなかったという事実が不思議に思えるほど、レコードはあまりにも単純な原理によって成り立っている。実際、エジソン自身も半信半疑で、試作機から自分の声が再生されたときの気持ちを、「一生のうちでこんな不意打ちを食らったことはなかった」と語っているほどだ。
音とは振動である。音の記録とは、つまり振動の記録である。音の振動を針先の揺れに変換させ、その針で盤を引っ掻くという「録音」の方法は、考えてみると、言葉を石に刻むことと似ている。言葉を文字に変換し、石に刻むことが「書物」の歴史が始まったことから、レコードも「音物」のひとつと捉えられる。そして、物を刻むというプロセスからみると「彫刻」であるともいえるし、マスターレコー・ドをプレスして複製されたものが作品であることからは、彫刻よりも「版画」と比較されるべきかもしれない。面白いことに、初期の蓄音機の録音方法のさまざまな試みのひとつとして、エッチングで溝を腐食させる実験が行なわれていた。まさに版画である。
プラスティックという「素材」がある。その案材の表面には、刻まれた細長い「空間」が存在する。レコードはそれだけでは音が出ない。そこに時間的な「運動」が加わって初めて音が姿をあらわす。レコードにおける運動とは、針で溝の凸凹をなぞるということになる。日常の世界を見渡してみると、さまぎまな「素材」が溢れている。それらの素材の多くは、表面か凸凹している。つまり、われわれの世界にはいっぱいレコードが存在しているのである。たとえば、川は大地に刻まれた溝である。土や石でつくられたその溝は複雑な凹凸をもった空間を形成している。そして、その細長い溝に「水が流れる」という運動が加わることにより「せせらぎ」が生まれる。このように考えると、地球自身がひとつのレコードであるといいたくなってくる。宇宙に浮かぶ巨大な球形のレコードである。この巨大なレコード盤上を、レコード針である僕たちの二本の足が歩き回ることにより、毎日凸凹をなぞりながら音を秦でている。
晩秋の寒い朝、前夜の強風によって歩道に積もった枯れ葉の絨毯を踏みしめながら、地下鉄の駅まで歩いた。乾燥した枯れ葉は、まさに「乾いた」音をたてていた。その音に注意しながら歩くと、カサカサという枯れ葉を踏む音が、一歩一歩微妙に異なる音を出していることに気がついた。枯れ葉の形や積もり方の違いによってだけではなく、足の踏み出し方の違いによっても、カサカサという音は変化する。ゆっくり踏んでみたり、早足で歩いてみたりすると、音は面白いように答えてくれる。このとき、個展での作品のアイディアができ上った。早速、当時勤めていた大学の裏手の山に枯れ葉を集めに行ったりゴミ袋にして三十袋ほどの枯れ葉は、暖房のよく効いた研究室に貯蔵され、個展の日を待った。そして研究室でカリカリに乾燥した枯れ葉は、画廊の一室に敷き詰められた。インスタレーション「BROOM」(1989)はこのようにして完成した。
普段、騒音の中で聞き慣れている枯れ葉の音も、静かな室内で体験すると、異様なほどクリアに聞こえ、緊張する。ドアを開けたときにはシーンとしているが、一歩室内に足を踏みいれると、ザクッザクッという音が部屋中に響き渡る。三人ほど歩き回ると、話もできないほどの音になる。このインスタレーションのタイトルは、展示室が「B室」だったことから生まれた。「B室」から「B-ROOM」という日本語的英訳が浮かび、辞書で「BR00M」を引いてみたら「ほうき」と書いてある。枯れ葉のレコード盤にほうき
の針」というできすぎた組み合わせが生まれた。友人に「ブルームというタイトルにした」というと、「ユリシーズのブルームか?」と聞き返されてしまった。僕はあわてて本屋に行き、ジョイスの『ユリシーズ』を立ち読みした。ユリシーズの登場人物ミスタ・―・ブルームは、ダブリンの街を歩き回るレコード針のような男であった。そこから「BLOOM’S BROOM(ブルーム氏のほうき)」という作品がさらにでき上がることになった。
『美術手帳』710号 美術出版社 1995年8月 186-187頁