"audio picnic" 4. Four dimensional reading


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出版のプロデュースを仕事にしている知人より連絡を受けた。「日本で初めての電子ブックの出版を考えている。それも稲垣足穂で。ついては、音楽のほうを受け持ってほしい」という。三年ほど前のことである。
それは、電子出版用の編集ツール 「エキスパンドブック」によって電子的に編集し、フロッピーディスクを媒体として、マッキントッシュのハイパーカードで「読む」ための「電子本」の制作のことだった。そして、その「本」には、稲垣足穂の代表作「一千一秒物語」他三編を収め「タルホ・フューチュリカ」というタイトルで出版するという。音楽制作を依頼されたのは、収録作品のなかの「オルドーブル」という短編についてであった。
未来派精神にみちあふれた独自のタルホ・ワールドを築いた稲垣足穂の作品が、コンピュータのモニター上で「光る文字」となってたち現われては、陽炎のごとく消え入るさまは、まさに彼の唱える「薄板界」の存在のひとつの風景であるといえる。そのなかでも「オルドーブル」は、「地上とは思い出ならずや」とか「幾何学としての時間及び自己」といったような、彼の哲学を断片化したメモ集であるので、さらに電子化するのに好適な作品である。

プロデューサーからは「ノスタルジックな音楽を」といわれたが、本にそもそもBGMをつけることに疑いをもっていた僕は、生返事をして、とりあえず画像データを送ってもらうことにした。送られてきたディスクをマックに入れ、まず僕自身が初めての電子ブックの「読者」を体験してみた。マウスをクリックすると、シンプルでかつモダンなデザインの文章がモニターに映しだされた。一枚のカードにひとつの文章が書かれ、トータル二十三枚のカードが四秒間隔で切り替わっていくようになっていた。
しかし、この読書はひじょうに読みづらいものであった。すべての文章が四秒間隔で切り替わっていくために、短い文章は晴間をもて余し、逆に長い文章の場合は、読み切らないうちにつぎの文章に移ってしまうといったように、いらいらするものであった。
あたりまえのことであるのだが、われわれは本を読む際、短い文章は短時間で、長い文章にはそれだけの長い時間を費やしているのである。つまり、読書という行為には、時間的な次元が含まれているのだ。であるから、自然に文章を読ませるためには、文章の長さに応じて、その言葉が映しだされる時間を編集してやる必要がある。そう思ったとき、僕は、その時間のコントロールを「音」でやれるのではないかと考えた。
「オルドーブル」の二十三のメモのそれぞれの文字数を数えてみた。そして、短い文章ほど、短く高い音を、長い文章になるにつれて、長く低い音をそれぞれプログラム上に当てはめてみた。つまり、音の鳴る時間で文章の切り替わりをコントロールするようにしてみたのだ。そして、ふたたびクリックしてみると、音とともに立ち上った文章はほどよい時間で消失し、そしてまた音とともにつぎの文章が浮かんできた。文章がディスプレイされる時間は、音によって決定されている。しかしひとつひとつの音が並んで生まれるメロディは、それぞれの文章の長さによってつくられている。つまり、一編の作品を読む体験を音楽で表わしてみたのだ。そうなのだ、「読書」という行為は、楽譜を見て演奏することと同様な、音楽行為でもあるのだ。読者には、表示される「空間」を読み進むための「時間」が必要であることを、僕は初めて意識した。

書物というオブジェは、パピルスの巻物から、項在の冊子本の形態へと変化し、そして電子本の時代へと移行しようとしている。その書物の形態にともない、「読書」という体験も変化している。巻物の本においては、片手でくりひろげ、読み進むにつれてもう一方の手で巻き上げていくという、内容的にも時間的にもリニアなアクセスに限定されていたのが、冊子本になってからは、左右の二ページがひとつの単位の、折り重なった本の宇宙を形成することになり、読書もよりアクティヴなものとなった。ページをペラペラとめくるランダムアクセスが容易になり、編集においても、見開きの二ページを単位としてさまざまな工夫が凝らされていった。ところが、電子本では、モニター上の一画面が単位となる。そこでは、冊子本のような展開は当然できない。ではいったいどういった「読書」になるのであろうか。
電子ブックの世界では、それまでの縦横に移動する平面的な読書ではなく、一画面の前後に移動する、奥行きのあるレイアウトとなり、当然「読書法」も、タテ、ヨコに視線を走らせると同様に、奥行きに対してもアクセスする「三次元的」なものとなるのではないかと僕は想像している。そして、読書には当然、時間が含まれるわけであるから、これからの読書は「四次元の読書」となるのではないだろうか。ということは、そこでは当然ながら、音楽的なリズム感が、編集者、読者の両方に要求されることになる。

『美術手帳』711号 美術出版社 1995年9月 186-187頁